ROOTS OF JAPANESE DENIM

ジャパニーズデニムのルーツ

 
 
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日本のデニムのルーツは

小倉織にあった

かつて日本に「デニムのようなもの」があったことは、あまり知られていません。江戸時代、綿花の栽培が盛んになると、日本各地で綿織物が織られ、明治から昭和初期にかけては学生服や作業着などに使われるようになります。丈夫で地厚な小倉織は日本中に浸透し「霜降小倉(しもふりこくら)」という生地の名前が男子学生の夏服の代名詞になる程でした。これがKOKURA DENIMの原型となります。

この頃つくられていた厚手の綿織物は、アメリカで「DENIM」と呼ばれているものと、ほぼ同じものでした。戦前の日本でもデニムという言葉が既に使われていたという記録もあり、小倉織の技術を受け継ぎ備中小倉という生地をつくっていた岡山県井原市は、いまにつながる国産デニムの生産の中心地へと成長していきます。

つまりデニムは、日本国内でも独自に発達してきました。アメリカのDENIMがゴールドラッシュ時代の労働服から始まったように、日本のデニムもまた同様に、国鉄職員の労働服などとして使われた時代を経て、現代ではファッションアイコンとして愛される存在に成長しています。

 
 

ABOUT KOKURA-ORI

小倉織について

 
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美しいたて縞を持ち


幅広い人に愛されてきた小倉織

小倉織は、豊前小倉(現在の北九州市)で生まれ、地厚で丈夫、なめらかな木綿の生地として、江戸時代には武士の袴、明治時代から昭和初期にかけては学生服などに、広く用いられてきました。細い糸で織られ高密度な小倉織は、経糸が緯糸に比べて多いことから、立体的な美しいたて縞の柄を表現した織物です。昭和初期に一度途絶えたものの、1984年染織家・築城則子氏によって復元、再生されて以来、現代の工芸としてつくられ続けています。

小倉織は、時代とともに進化を続けています。復元された小倉織は、工芸の枠を飛び越え、多くの人に使ってもらえるよう機械で織ることが可能になりました。そして今、かつて幕末の武士が袴として着用していた小倉織は、KOKURA DENIMという新しい生地となり、さらに幅広い地域、世代へと広がろうとしています。

《染織家 築城則子オフィシャルウェブサイト》