かつて日本に「デニムのようなもの」があったことは、あまり知られていません。江戸時代、綿花の栽培が盛んになると、日本各地で綿織物が織られ、明治から昭和初期にかけては学生服や作業着などに使われるようになります。丈夫で地厚な小倉織は日本中に浸透し「霜降小倉(しもふりこくら)」という生地の名前が男子学生の夏服の代名詞になる程でした。これがKOKURA DENIMの原型となります。
この頃つくられていた厚手の綿織物は、アメリカで「DENIM」と呼ばれているものと、ほぼ同じものでした。戦前の日本でもデニムという言葉が既に使われていたという記録もあり、小倉織の技術を受け継ぎ備中小倉という生地をつくっていた岡山県井原市は、いまにつながる国産デニムの生産の中心地へと成長していきます。
つまりデニムは、日本国内でも独自に発達してきました。アメリカのDENIMがゴールドラッシュ時代の労働服から始まったように、日本のデニムもまた同様に、国鉄職員の労働服などとして使われた時代を経て、現代ではファッションアイコンとして愛される存在に成長しています。